できごと、思っていること

Blog

予想と予測と平均寿命

2016-12-05

先月の米大統領選の結果について、世論調査が間違っていた理由の一つに、
「おもてだって、トランプ指示を口に出せない(出さない)人が多くいた」
という話を聞きました。
調査の方法にもよるでしょうが、調査結果の信頼性は、そもそもその調査に善意的に協力する人がいて成立するものです。
だから「A候補を支持する人がXパーセント」ではなく、「A候補を支持すると答えてくれた人がXパーセント、ただしこれこれという調査方法で」というのが正しいと思います。 私自身、期日前投票を終えてのそうした聞き取り調査できちんと回答したことは一度もありません。
しかし、そうした私のような非協力的な人間や、悪意のある対象者の存在を鑑みながらも、統計的に正しい予測をすることが不可能だとは思えません。 そんなことが予測できないのなら、それは予測でなく予想のレベルだとも思えてしまいます。

勝手な解釈ですが、単なる予想に科学的・統計的・経験的に一歩進んだ分析を加えて導き出された結果を予測と言ってほしい。
その結果の根拠を求められた際に「何となく」と答えても許されるのが予想であって、予測と呼ぶ場合は、二千文字くらいの文章にできるか30分間くらいの講義をできるだけの根拠があって然るべきだと考えます。

その予測を公的機関が大々的に発表する時に、予報という言葉が使われます。
本来は、未来に当然起こるはずの事象を事前に公表する以外の意味はないはずですが、もっぱら「天気予報」では予測の延長線みたいな感じで使われています。
例えば、ある会社が「今度の株主総会は来年の○月○日に実施します」というのがちゃんとした(?)予報だと思うのですが、どうでしょう。 じゃ、予告と一緒じゃないか、という気もしてきました。

「明日の午前6時から12時までの間に、福岡地方に1ミリ以上の雨の降る確率は50%」
この「降水確率」は天気予報の中でずっと気になっていました。

  • 6時間の間の50%だから、3時間くらいは降るのだろうか?
  • 福岡地方だってそれなりの面積があるのだから、50%くらいの地域で降るのか?
  • 福岡地方のどの地点であっても、6時間の間に降水量が1ミリ以上あるのが、半々の確率という意味か?

上の解釈はどれも間違いで、正解は「福岡地方を面積的に細かに分割して、明日の午前中のような天気図(気圧や温度やその他もろもろを考慮した情報)の場合に、過去に降水量が1ミリ以上であった場合の数値を平均した結果が50%」であるらしく、これは「雨の降る確率」でなく「これまでに雨の降った場合の平均値」でした。
ですから「降水確率10パーセント、だから濡れても平気」なわけでなく、運悪くその10%だった場合には豪雨に見舞われるかもしれません。

予想とも予測とも違うのですが、この「降水確率」のように過去の出来事から帰納的に導き出された結果にも関わらず、ついつい思い込んでしまうことの一つに「平均寿命」があります。
そんなことないという方は大勢いると思いますが、私の母親のように、ため息を付きながら「平均寿命まで、あと○年やもんね」などと気弱そうなフリを得意技の一つとしている高齢者の方もいるのではないでしょうか。
それは間違いです(キッパリ)!
平均寿命は正しい数値ですが、それをあなた自身に当てはめて考えることに無理がある。
例えば、ここに100人の50歳の人達がいたとしたら、その方々の死亡年齢の平均はいくつでしょうか。
60歳だったらどうでしょう。 70歳だったらどうでしょう。 どの場合も当然、日本人の平均寿命よりは高いはずです。
この「平均寿命」は、0歳児の平均寿命です。 若くして亡くなる場合もあれば、運良く長生きする場合もあって、少なくとも、既に人生を送っている人間は必ず、この平均寿命よりは長く生きる可能性が高いわけです。
生まれたばかりの赤ちゃんに対して「あぁ、この子の平均寿命はあと80年余りか」というのが正しい使い方です。

一期目の大統領としては史上最高齢となるトランプ候補の誕生で、日米関係にどのような変化があるのでしょう。
いろんな予想や予測が飛び交っています。 中には予断もあるかもしれません。
予知なんてできないので、予備や予習が必要な予感がします。