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私的なノーベル賞

2015-11-02

明日は文化の日。明治天皇の誕生日であり、日本国憲法の公布日です。
11 月 3 日を憲法記念日にしようという議論もあったそうですが、「戦争を放棄し、文化をすすめる国になることを宣言した記念すべき日」ということで「文化の日」になった経緯を知りました(当時の参院議長の発言)。
文化をすすめるというのはどういうことか、さまざまな回答、考えがあります。
ノーベル賞をたくさん獲得することはその一つかもしれません。

日本人二人にノーベル賞が授賞されると発表された先月のニュースは嬉しいものでした。
オリンピックやワールドカップの時に少しだけ顔を覗かせるプチナショナリズムが刺激され、何よりも受賞されるお二人の素晴らしい人柄やコメントに触れられるのが素敵です。
普段は何の興味もなく、仕事にも生活にもさして影響がないような学問やその業績について調べることで知的好奇心が大いに満足させられます。 何者でもなかった十代の頃によく味わっていたはずのドキドキ感が蘇ります。

ニュートリノが質量を持つことを証明したことが画期的なことだというのは、私にはよくわかりません。
しかし、梶田さんの功績がカミオカンデの小柴昌俊(2002年にノーベル賞受賞)氏や亡くなられた戸塚洋二氏といった師匠達から受け継がれた研究の成果であることや、小柴氏のことを「恐い先生だった」と思っていたり、高校時代の成績が 405 人中 250 番目であったことなどを知るだけで嬉しくなってしまう、この感覚は何なのでしょう。
偉大なことを成し遂げた人を、なぜか身近に感じてしまう。 仲間、というのはかなり勝手すぎるような気もするけれど、そんなに雲の上の人でもないんだ、といった感じです。

生理学・医学は物理以上にさっぱりですが、何億人もの人を病気から救った、というだけでもう神です。
大村智さんの半生はいずれ小説か映画かになるのではないかと思えるくらいにドラマチックです。
そして、その業績とは無関係の活動でも頭が下がるばかりです。
人の真似はするな
私のポリシーとは異なりますが、これからはこの大村先生の言葉を胸に刻むことにします…。

大村先生へ脚光が浴びることになって、北里柴三郎の名前も何度も目にすることになりました。
恥ずかしながら私自身は、細菌関係の人で野口英世とどっちが偉いんだっけ?くらいの知識しかありませんでした。
北里柴三郎 まだ日本が劣等国と思われていた時代に、素晴らしい業績を上げ、第一回ノーベル賞の最終候補に挙がったもののいろんな事情で授賞されなかったことを知りました。
また、阿蘇の小国町の出身であることも知りました。

今回、私が発見(?)したことがあります。
北里柴三郎は、くまモンに似てる、です。
ホントによく似てると思いませんか?

はい、今回のコラムは「文化の日」にくまモンに思いを馳せる、でした。