できごと、思っていること

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ドリームガールズ~おふくろさん

2007-03-31

コンサートにはとんとご無沙汰にはなったが、映画はたまに鑑る。
月に一度の「映画の日」にはできるだけ映画館に足を運ぶことにしている。
で、3月の映画の日にはドリームガールズ
幕が閉じてもしばらくは立てない程の感激。清々しい気分に浸ることができた。今の所、日本では前評判ほどは評価されていないようだが(ミュージカル映画はいつもそうだ)、こんなに素敵で、胸を熱くさせてくれたことに感謝、感謝。

予告篇の前に流れたのは、「携帯電話をマナーモードに」や「喫煙禁止」と一緒に「不正録画撲滅キャンペーン」の広告だった。
映画館の中で、違法にビデオカメラで本編を録画するヤカラがいるらしい。
それをDVDに焼いて海賊版として売るのだろうか、あるいはネット上で流すのだろうか。明らかに犯罪行為だ。
海賊版と知ってお金を払う方も問題だよなと思いながらも、考えてみると20年以上前には、海外ミュージシャンのアルバムのカセットテープを格安で何本も(いや、何十本も!)私は買っていたことを思い出した。犯罪に加担していたわけだ。
著作者の権利を守る法律があり、それに違反すると罰せられる、というのは納得できるし当然のことだが、そもそも何故、著作者にはそうした権利があるのだろう。

知的所有権(知的財産権)は二つに大別できるらしい。特許権や商標権などの「産業財産権(工業所有権)」と文化的な創造物を保護する目的の「著作権」とだ。
産業財産権は申請しなければ得られない権利だが、著作権は著作物を創造した時点で発生するとのこと。
発明や工夫を保護する理由は推測できる。こういった行為を保護することで、権利者の優位性が高まり、結果として文明の進歩に寄与するからだろう。
しかし文化的な創造物を保護することによって、世界にどんな恩恵がもたらされるのだろうか。
歌手や映画会社が困る、という意見は当たらない。これらの職業は著作権が存在するからこそ成立しているものの筈で、順序が逆の話だ。
誰かが作った歌を誰もが自由に歌えたら、誰かが書いた小説をお金を払わずに自由に読めたら、あるソフトウェアを誰もが自由に利用できたら(今あるいくつかの職種は無くなり プログラマーという私の職業もただの趣味になってしまうが)、とても素敵なことのようにも思えてくる。

「コピーレフト」という言葉がある。コピーライトの反対という意味で、このコピーレフトを明記してある製品は誰もが自由に利用でき、原作者の承諾を得ることなく第三者に渡譲しても構わない、という太っ腹なライセンスである。
商業主義に走り過ぎたソフトウェア産業への警鐘の意味も含めて三十年前に提唱された考えで、一般に言われる「フリーソフト」はここから生まれた。
フリーソフトであっても著作権はしっかりと守られるのが常であるが、フリーソフトの作者の中には、著作権も含めて一切の原作者としての権利を放棄する豪気なプログラマーも最近、増えてきた。 自分が作ったソフトウェア、自分が考え出したアルゴリズムをより多くの人が自由に利用し、世の中の役に立ちたいというボランティア精神に依るものだ。
多くの企業で使われ始めた基本ソフトLinux(リナックス)もこの成果の一つで、この開発者(リーナス・トーバルズ)の名はコンピュータ史に長く残ることだろう。

「森には、歌わせん」と息巻いておられる(おふくろさんの作詞者)川内康範さんの名前は、おふくろさんの作詞者としてよりも、森には歌わせんと言った人として後世に語り継がれるのだろうな、などと思ってしまいます。