できごと、思っていること

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あの頃の未来

2008-03-08

平成も20年になると聞くと感慨深いものがあります。
日本中がバブルに浮かれていた昭和最後の年、平日だというのに真夜中の渋滞に何度も遭遇していた私は、東京の新宿にある事務所で働いていました。
美空ひばりが亡くなったこと、テトリス(テレビゲーム)が流行ったこと、皇居の近くには物々しい格好をした警備官がいたこと、丸の内線の満員電車の中では持っている鞄から手を離しても鞄が床に落ちないこと等が懐かしく思い出されます。

そして20年経った今、私たちは間違いなく「あの頃の未来」にいます。
あの頃の未来とはどういうものだったのでしょうか。
あるゼネコンは、地上100階を超えるビル同士が上空で連結し行き来ができる、航空都市構想を(真面目に)発表していましたし、月面での別荘生活を提案する企業もありました。
東京まで30分もかからずに行けるのは、時間の問題だろうと思っていました。
私自身は、ドラえもんは無理でも、鉄腕アトムには会えるかもしれないと思っていました。
ところが残念なことに、私はアトムと話することも握手することもできそうにありません。自転車をこいだり、パラパラを踊ったり、フルートを吹くことも大事なことかも知れませんが、私が会いたい鉄腕アトムではありません。
今という時代は、あの頃の未来ではなさそうです。
あの頃の未来は、あの頃だけの未来に終わってしまいました。
少し、残念です。

尊敬するアラン・ケイの言葉の中で印象的なものがあります。
それはある質問「あなたが二十歳代の頃に予見したように、今では全世界のいたる所にコンピュータがあふれています。未来を予見する方法とは何ですか」への回答。

一番確実なのは、自分でそれを発明してしまうことです

彼は、今のような世の中(家庭にも職場にもコンピュータがあり、誰もが自由にそれを使いこなすような世界)を、まだ大型コンピュータしか無かった時代に思い描いていた世界で唯一の人でした。
彼はそうした予見を学生の頃に論文で発表しただけでなく、実際に現在にも通じるパーソナルコンピュータを構成するいくつもの発明を行い、それを実際に組み立て、後にそれを模倣して、アップルのマックや、ウインドウズが生まれたのです。
パソコンの中で「紙を開く」というような考え方や、マウスの実際の利用方法(マウスの発明そのものは別人です)や、「ゴミ箱」に一時的に保管して置くことや、画面上の小さな画像(アイコン)をクリックしてプログラムが動き出す仕組み等は、すべて彼と彼のグループの成果です。

私には彼のように未来を予見することも、未来を変えるような発明・発見をすることもできそうにありません。
ですが、自分自身のそう遠くない将来についての予見はできそうです。
予見、というよりも「目標」でしょうか。こうありたいと思う自分の姿です。
20年後はチト無理ですが、一年後なら何とかなりそうです。
確実なのは三月後ですが、もっと確実なのは、ひと月後です。

ひと月後の未来が、「あの頃の未来」に終わってしまわぬようにしたいものです。