できごと、思っていること

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間違いだらけの慣用句

2016-07-18

26年ぶりに出会った友人から中学で社会科の教師をしていると聞いた。
今でも「公民的分野」という呼び方があるそうで、「公民」という言葉を耳にしたのは久しぶりだ。
その彼とバカ話をしている内に、話題が「方言」「言語」「言葉遣い」になり、「慣用句」にたどり着いた。 国語が専門ではない彼であっても、当然、私よりも日本語に詳しい。
プログラミングには算数よりも国語が大切であると思っていた私ではあるけれども、自分が使っていた言葉になんと間違いの多いことかを知らされた。

足下をすくわれることはない。
すくわれるのは「足」であって、足下ではない。…ふむふむ。

誰も熱にうなされることはなく、熱に浮かされたり、悪夢にうなされることはあるらしい。…へーっ。

手が負えない生徒はいないけれど、手に負えないと思ってしまうことはあるらしい。
これは何となくそうじゃないかと思っていた。

間(マ)が持たないは、間が持てないの間違い。

後で、間違いやすい慣用句をネットで調べてみると、たくさん出てきた。
「印籠を渡す」「脚光を集める」「上には上がいる」「恩を着せる」「合いの手を打つ」…。
これらはすべて誤りで、正しくはそれぞれ「引導を渡す」「脚光を浴びる」「上には上がある」「恩に着せる」「合いの手を入れる」。
今までたくさんの誤用を繰り返してきたんだろうなぁと思いつつ、今こうして書いている文章の中にも間違いがないとは言えない。困った。

中でも一番ショックだったのが、次の二つ。
「激を飛ばす」と「割愛する」の意味。
意気消沈している人、元気の無い人にハッパをかけることを「激を飛ばす」と思っていたのだが、!!!
余分なものや、さして重要でない事柄を省略することを「割愛する」と信じていたのだが、!!!
本当の意味は、ご自分で調べてください。

正しい言葉遣いは重要だし、何より知らずに誤用を続けているのはかなり恥ずかしい。 正しい使い方を心がけたいものだと思う。
でも、心のどこかに「何を今さら」という気持ちも少しある。
中学校で教鞭を取っている彼が、Windows のことを「ウインドウ」、Google のことを「ゴーグル」と言っていることは、最後まで指摘せずに彼と別れた。
私は、友情を大切にしているのだ。

最後の一文は「友情にアツい」と書くつもりだったが、「厚い」「熱い」「篤い」のどれが正しいのか不明だったので書き換えた。
しかし、そもそも「情に篤い(厚い)」はOKでも、「友情にアツい」なんて言葉は違うのじゃないか、という気もする。
ああ、メンドーなことに気付かされたものだ。