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一票の価値

2013-07-29

参院選が終わりました。
「ネット選挙」でなく「ネット選挙活動」が正しいだろう、なんて思いつつ、また、世間的には「あまりその効果がなかった」などと言われる中、個人的にはネットで多くの情報を得、それに影響を受けた投票を行いました。 今までの国政選挙と比べて、情報を得るために使った時間も考える時間も多かったので、やったな感(=達成感)を持っています。
一般的には、今回の投票率の低さについて問題視されています。 私自身も良くないことだとは思いつつも、結果として私自身の一票の価値は相対的に高くなったわけで、「得した」というのは憚られますが、それが真実です。

選挙権を初めて得た三十年前と比べると、その100倍くらいの情報を得たので、私には一票でなく100票くらいの投票権がほしいのですがそういうわけにはいきません。
こんなことを言い出すと、もっと多くの権利を主張する人がたくさん出てきそうですし、中には、権利を与えるべきでない人の存在を取り沙汰されるかもしれません。 さらには、納税額で権利の大小を決めたり、ボランティア活動を行った人に多くの権利を、いや、国民栄誉賞の受賞者にはもっと、なんて議論も出るかもしれません。
もちろん、全部ダメダメな論理です。 現在の一定年齢に達したら、誰にでも等しく一票という制度はシンプルなだけでなくその正当性について疑問の余地はないように思えます。 世の中には、年齢での投票制限までも無くしてしまおうという意見もあって、考えさせられることも多いです。

実は今回の比例区での投票で、ある二人の候補者のどちらにしようかと悩みました(私は政党名でなく個人名を記名投票)。
二人の候補に、私の持ち票の内、0.5 票づつ入れられると良かったのですがそういうわけにもいきません。 結果、片方の候補者を選択しました。
私のように悩んである特定の候補者に投票した人にとっては、投票しなかった方の票は「死に票」と言えるのではないでしょうか。
多くの投票者が心の中で、0.4 票くらいは入れたいと思う候補者がいてももう一方の 0.6 票くらいを指示した人に一票を入れざるを得ません。 投票されなかった 0.4 票の集計は、目に見えない、そしてたぶん誰にも統計できない「死に票」です。
小選挙区での「死に票」ばかりが問題にされますが、小選挙区で当選した与党議員であっても、ある一人の議員の考えがそのまま国の政策に反映されることも少ないはずですから、その議員に投票された票も大きな意味での「死に票」なのか…?
そんなわけはありません。 これは民主主義を理解できない人の考えですね。

あるネット番組で、投票率を上げるにはどうしたらいいか、というのを目にしました。これは設問が間違っています。
天の邪鬼な私は「選挙権を与える年齢を 50 歳以上にする」だとか答えてしまいます。 その番組の出演者達が真面目に言っていた「期日前投票をもっとアピール」や「ネットでの投票」も、私のふざけた回答と五十歩百歩ではないでしょうか。
本当に問題にすべきは投票率だとは思えません。
一般的に「一票の価値」という言葉は得票結果に及ぼす影響の重みを指しています。 私は別の意味で使いたいと思うようになりました。
今回、ネットを通じていろんな情報を得て投票活動を行った私にとって「一票の価値」は、それまでよりも明らかにその価値が高くなったと自惚れています。